文章を書くということ

 私の趣味の一つに読書がある。

 きっかけははっきりしており、幼いころ毎週のように市立図書館へ通っていたことだ。最初は母による絵本の読み聞かせ、次に母が選んで借りてきた本を読む、そして次第に自分で本を選んで借りるようになり、小学校の図書室へ毎日通い、学校で一番本を借りるために1日1冊しか借りれないところ適当に薄い絵本を休み時間中に借りて読んで返し、2冊目を借りるというズルをしていたほどに本を読むことが好きになっていった。

 今の時代ならバーコード管理されているので引っかかってしまいそうだが、当時はまだギリギリ導入されておらず、生徒一人一人に貸し借りを記録する紙のカードがあったのだ。学年ごとに色が違い、カードがいっぱいになると違う色のカードになるので、借りれば借りるほどカラフルになって楽しかったのを覚えている。むしろカラフルにしたくて、本の貸し出し数を増やすことに躍起になっていた。

 こうして文字にして説明してみると気づく。正確に表現すると、本を読むことが好きで、それとは別に学校で一番になれること、カードをカラフルにできることが嬉しくて小学生の私は図書室に通っていた。

 

 

 さて、きっかけを思い出してたらだんだんと横道にそれてしまったが、今現在も本を読むことが好きで、小説以外の文章を読むことも好きである。しかし、昔と違って紙の本を読む機会は格段に減少してしまった。

 ネット上の文章を読むようになったのである。

 ガラケー時代から小説家になろうにはまり、ネット小説を読み漁った。スマホになってからはtwitterにはまり、手は出すまいと思っていた二次創作の沼にどぷどぷに浸かっている。

 そんな私がネット上で読む文章はほとんどが趣味によって書かれているものである。職業作家の方はほぼ0に近しい、というよりか逆に「いいな」と思った話を書く人が出版社に声をかけられて商業に進出していった。お目が高いな出版社よ、と思いながら書籍化は喜び、商業に行かなくとも趣味の一環で、素晴らしい小説、文章を書く人がこんなにもネット上にあふれていることに感謝している毎日である。

 

 そんな趣味で書いている人たちの姿を見ていると自分も書いてみたい!と言う気持ちが湧いてくる。何せ妄想力は鍛えに鍛えまくっている。最強のパートナー、ハイドロポンプを打てるチコリータとともに数々の冒険を繰り広げたところから始まり、暇さえあれば考えているオリジナルの話はいくつも頭の中にあるのだ。

 しかし、実際に書ききってみたことはない。

 あるときはドラゴンライダー エラゴンを読んで影響を受け、ドラゴンを出した話を書いてみるも少年が卵から孵ったドラゴンに出合ったところで挫折。あのwordデータはどこに行ってしまったのだろうか……

 またあるときは、夏休みの宿題で絵日記の代わりに、毎日短いお話のような詩のようなものを書いていた。これが唯一の成功例かもしれないが、モノがすでに失われて久しく、我ながらひどい出来だと思った小6の夏はカウントに入れたくない。

 書きたいと思い、行動に移せば小6の夏のように書けるはずである。だが、書き終えたことは一度もない。一体なぜ書けないのか。

 

 私の場合それは、文章を書くことに苦しめられてきたからである。

(実際はこれが理由の1割で残りの9割はやる気が出ないからになってしまい、その話をしていると長くなるので別の機会に書きたい。)

  

 小学生のうちは作文と読書感想文。中高は小論文、大学はレポートに論文。文字を書き連ね文章にしていく作業には毎回苦しめられてきた。何を書いていいのかわからないときは最悪で、終わりが見えないことが本当につらかった。書きたいことがあるときでも、何度も文章を行ったり来たりして推敲してからでないと進めないので、時間がかかってしまう。どうしても普段から読んでいる文章と比べてしまい、流れの悪いところが気になってしまうのだ。

 そして修正を繰り返していると、頭の中ではあんなにもすらすらと考えてきたことが出力できず、もどかしい気持ちになる。脳内で考えたことを文字に起こすことができる装置が欲しくてたまらない。ここまで書くのに2時間かかっている。遅い。

 そんなこんなで文章を書くことに苦手意識がある。卒論のときに何度泣きながら書き直したことか。最後まで見捨てずに付き合ってくれた教授には感謝しかない。

 

 

 だが、私には小説を書ききってみたいという願望がある。

 自分が考えた最高に自分好みの小説を形にしたいのだ。

 

 

 何事も練習あるのみ、というわけでとりあえず小説よりも自分の中ではハードルの低いブログを始めてみることにした。タイピングが遅いのでそれを鍛えたいという理由もある。ここで、出力のための力をつけたい。

 思い立ったのは、今日会った祖母の影響である。祖母は80後半になるがしっかりとした人で俳句を詠み、筆まめである。よく手紙を出すため郵便局の配達員と仲良くなり、自家栽培されたキウイをおすそ分けでもらい、それが当時まだ珍しかったキウイを好きになったきっかけである、というから驚きである。何よりすごいのはその方が配達員をやめた後でも文通で交流をしており、手紙によって思いがけないつながりができたことを笑顔で話していた。

 祖母の話を聞いて、続けていくことのすごさと手紙の力を改めて思い知らされた。しかし、私は現代に染まりきった現代っ子である。手紙よりもメールかLINEを使ってしまう。文通を私の趣味にすることはできないだろう。

 だが、文章を形にすればよいと思ったのだ。この世に存在するのと、私の頭の中にだけあるのでは大違いである。

 

 ずっと続けていくことのできる、出力する趣味が欲しいと常々思っていた。

 このブログと並行して小説を書いてみようと思う。

 

 まずは短編小説からはじめたい。先日見た夢から妄想が膨らみ、珍しくオチまで考え付いたので、書いてみようと思うのだ。

 

 文章を書くことには前述した通り、苦しめられた記憶しかない。今こうしてブログを書いていても、どこか苦しい。しかし、日々生活していく中で思うことが多々ある。それをここで表現できたらいいなと思いつつ、文章を書くこととできるだけ仲良くなりたい。あと、3時間かかったのでもっと早く書けるようになりたい。